居酒屋「和民」新入女性社員の過労自殺について

弁護士 堤 浩一郎

堤 浩一郎弁護士

1、はじめに

本事件は居酒屋「和民」に入社した女性社員が、入社僅か2ヶ月余後に過労自殺したという悲惨な事件である。
「和民」における新入社員(新入社員だけではないが)の働かせ方の異常ぶりは極立っているが、こういう働かせ方は深夜営業を行っている業界においては日常茶飯事になっているものとも考えられ、ある週刊誌では「女工哀史」と表現して報道している位である。

2、被災労働者の夢と現実

(1)被災労働者は26才の女性であったが、「和民」が「食文化」「安らぎの空間を与える」など標榜するなかで、その夢を実現すべく希望に燃えて2008年4月1日「和民」に入社した。
入社後、約1週間は本社で座学研修が行われたが、研修終了直後の4月13日京浜急行久里浜駅前にある「久里浜店」(以下「本件店舗」という)に配属された。
(2)被災労働者は本件店舗に配属されるなり、直ちに調理部門のひとつである「刺場」(刺身・サラダなどを調理する部門)に配属された(配属人員は被災労働者のみ)。
被災労働者は大量調理の経験が全くないにもかかわらず、またその研修も全く受けることがないまま、多いときには1日当たり250名以上の客の注文を受けての調理業務に従事することになった。
客の注文後7分間が経過するとブザーが鳴るというあわただしい雰囲気のなかで、被災労働者はできるだけ迅速においしい商品を提供すべく奮闘していた。
そのため休みの日などは一生懸命レシピ、マニュアルを覚えるという努力をしていた。
こういう状態が被災労働者が自死した6月12日まで連日続いていたのである。
こういう労働実態に対する私の感想としては、「和民」はどうして新入社員に調理業務を連続して従事させたのか、即ち、もう少し肉体的に楽な店舗内での接客業務とのローテーションをどうして組まなかったのか、大変疑問に思った。

3、働かせ方の異常性

(1)新入社員を大量調理業務に従事させたことよりも、更なる本件事件の異常性は、その働かせ方にある。
会社の所定労働時間は一応午後4時から午前1時までの8時間となっていたが、これは全くの建前にしか過ぎなかった。
即ち、本件店舗の開店時間は午後5時、閉店時間は通常曜日が午前3時、金・土・祝日の前日が午前5時となっていたが、この営業時間は無条件、絶対的にそのまま労働時間となっていた。(賃金自体も深夜手当を予め組み込んでの賃金額となっていた)
この点につき、会社が作成した「質疑応答」によれば、「勤務時間は何時間ですか」という質問を設定したうえ、会社は「『会社に居る時間』が『勤務時間』です。もし『仕事は、成し遂げるもの』と思うならば、『勤務時間そのもの』に捉われることなく仕事をします」と回答して、営業時間イコール勤務時間であるとの考え方をあけすけに表現している。
そういう状況のなかで、被災労働者は午後2時なりに早出出勤するとか、また、閉店後も後片付けなどの労働に従事していた。
そのため、被災労働者は約13~15時間の深夜勤務を含めた長時間労働を、多いときは7日間連続でやらされていたものである。
(2)連続した深夜にわたる長時間労働自体大変だったが、会社が被災労働者に用意した住居が電車を利用してしか帰宅できない場所にあったため、被災労働者は午前3時頃閉店したあとも京急線下りの始発電車が走り出す午前5時25分まで本件店舗内に事実上拘束されていた。
そのため、被災労働者の拘束時間は長時間となっていたものであるが、更に、被災労働者の睡眠機会の喪失と疲労回復を妨げる要因として
①会社から提出を義務づけられたレポートの提出
②早朝研修会の出席
③ボランティア研修への参加
④その他
があった。
レポート提出について言えば、レポート提出数は約1ヶ月間で合計11通にものぼっているが、被災労働者は帰宅後、あるいは出勤前、あるいは休日に極めて長文の「理念集」を読み込むなど、数時間を費やしてレポートを作成していたことが明らかとなっている。
また、早朝研修会に関して言えば、被災労働者は、例えば本件店舗で午前0時まで働き、翌日午前7時には東京都大田区の本社で開催された早朝研修会に出席しているのであるが、自宅から本社までの所要時間が約2時間かかることを考えれば、この早朝研修会出席時は、被災労働者は殆ど睡眠を確保できない状況を余儀なくされていたのである。
このように、被災労働者は、折角の休日等も様々な業務のため追いまくられ、慢性的な睡眠不足状態に陥っていたものである。
(3)以上のように被災労働者は、慣れない大量調理業務に従事するなかでヘトヘトになる、そして深夜にわたる連続した長時間労働、そして休日もゆっくり休めないという状況のなかで、次第に精神的・肉体的に追い詰められていった。
被災労働者は5月15日の手帳には、下記の写真のような

との悲痛な叫びを記している。
そして被災労働者は入社して僅か73日目の6月12日に自死してしまったのである。

4、審査官による逆転認定

2012年2月14日付で審査官は、原処分を取り消すとの認定を行った。
認定の要旨は、深夜労働を含めた長時間労働を認定したうえ、「従事の内容・仕事量の大きな変化を生じさせる出来事があった」として、業務上認定をしたものである。
具体的に言えば、審査官は、「店舗への配属を機に深夜勤務となり、時間外労働が大幅に増え、1ヵ月当たりおおむね100時間を超え、その後においても休憩、休日を十分に取得できる状況になかった」と判断したうえ、総合評価を「強」として、逆転認定をしたものである。

5、今後の問題

被災労働者の遺族としては、今後会社に対し、

の3点について、申入れ、要請を行っていきたいと考えている。

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