元ごみ焼却工場作業員が、アスベストによる「びまん性胸膜肥厚」で公務災害認定

九州社会医学研究所 所長 田村 昭彦

 北九州市のごみ焼却工場で長く働き、退職後の2011年4月に呼吸不全で死亡した72歳の男性元職員の遺族に対して、地方公務員災害補償基金北九州市支部審査会は2015年3月、公務災害と認定しました。ごみ焼却工場でのアスベスト被害として公務災害に認定されたのは、全国でも初めてのケースといえます。

1)本人の「確信」からスタート

この元職員は退職後の2007年、「びまん性胸膜肥厚」を発症。呼吸困難による入退院を繰り返し、2011年、死亡されました。生前に「自分の病気は焼却工場に多量に使用されていたアスベストが原因」と家族や主治医に訴え、職場環境や自分の働き方を詳細に書いた「自己意見書」作成もおこなっていました。死亡直前、公務災害の請求をしていましたが、基金支部は不当にも2013年3月公務外の認定をしました。遺族は2013年8月、不服として同支部審査会に審査を請求しました。

2)北九州労健連の取り組み

審査請求を行った遺族は、専門的なアドバイスが必要と九州建設アスベスト弁護団にも加わっている弁護士に相談しました。北九州地域の働く人々の健康を守るセンターである「北九州労働者の健康問題連絡会議(北九州労健連)」のアスベスト対策委員会のメンバーである労働衛生の専門医や自治労連・北九州市職員労働組合が協力して、医学的意見書作成や、労働現場の環境実態の確認が行われました。2015年1月に開催された支部審査会の口頭審理では、医学的、認定行政的にも基金支部の裁決の誤りを立証しました。

3)基金支部の「公務外」は「基金本部」協議による

原処分庁である地方公務員災害補償基金北九州市支部の裁決では、石綿による疾病の公務災害認定については、「石綿による疾病の公務災害の認定について(平成21年6月1日地基補第161号理事長通知)」により、公務起因性の判断については理事長に協議することとなっているため、被災職員の申立て、所属及び任命権者から提出された資料、主治医意見書、被災職員が受診した医療機関から提出された医学的資料を提出し理事長協議(本部協議)を行ったとしています。基金支部の主体的な判断は基本的に行われていません。

4)びまん性胸膜肥厚を否定した基金本部専門医

基金本部が公務外とした判断の最大の根拠は、基金本部専門医による医学的知見でした。要約すると以下の2点です。
①被災職員はびまん性胸膜肥厚と診断されているが、画像上、びまん性胸膜肥厚は発症しておらず胸膜プラークだけではないか。
②被災職員の職務内容からのばく露量を考えても、びまん性胸膜肥厚が起こり得る程度とは医学的に考えにくい

5)医学的診断が最大の争点

従って今回の争点は以下の3点で、当然最大の争点は①の診断をめぐるものでした。
① 被災職員はびまん性胸膜肥厚を発症していたか。それとも胸膜プラークか?
② ①においてびまん性胸膜肥厚を発症していたとする場合、 それは公務上発症したものか?
③ ①においてびまん性胸膜肥厚を発症していたとする場合、 被災職員のびまん性胸膜肥厚の発症と死亡に相当因果関係が認められるか?

6)胸膜プラークではなく、「びまん性胸膜肥厚」

最大の争点は「びまん性胸膜肥厚」に罹患していたか否かという医学的診断でした。基金本部の専門医は、「胸膜クラーク」と判断していたので、胸部X線、胸部CT等を詳細に検討しました。
①胸膜プラークとの鑑別
右胸膜肥厚に関しては胸膜プラークとの鑑別が極めて重要となっています。一般に胸膜プラークは肋横角の消失を伴わず、「限局性、平板状で平滑あるいは結節上の胸膜肥厚(「森永謙二編 石綿ばく露と石綿関連疾患 増補新装版、三信図書65頁)」とされています。
しかし画像上、右胸膜肥厚の辺縁は平坦ではなく、円形無気肺を伴っていることから、胸膜プラークとは考えにくいと判断しました。
さらに胸膜プラークは壁側胸膜の肥厚であり肺との癒着を伴わないものとされていますが、入院中に実施した胸腔鏡検査では「胸膜と肺の癒着が強く、肋間の切開を行ない肺と癒着肥厚した胸膜及び肺組織を病理組織検査」したとされています。以上から右胸膜肥厚は胸膜プラークとは考えにくいとの医学的意見書を作成しました。
②中皮腫との鑑別
胸膜肥厚に関して、画像上中皮腫との鑑別も必要と考えられましたが、胸膜生検の結果悪性所見は否定されており、死亡直前にも急速な増悪は認められていないことから否定的であると判断しました。

7)支部審査会も「びまん性胸膜肥厚」と認定

主治医、意見書作成医、鑑定医のいずれの医師の医学的所見によっても、びまん性胸膜肥厚と認められる。支部長は、基金本部専門医による医学的知見によると、画像上びまん性胸膜肥厚は発症しておらず胸膜プラークだけではないかと考えられると主張するが、前記各医師の所見を覆すほどの主張立証はなく、結論に合理的な根拠を認めがたいと認定し、呼吸機能障害も、パーセント肺活量は33.3%となっており、公務災害認定要件を充足すると裁決しました。

8)公務に関連して石綿ばく露作業に従事していた

被災者は1973~92年の19年間、北九州市の清掃工場の大型ごみ破砕棟で粉砕機運転操作に従事しています。当該工場には、天井や内壁に石綿が使用されており、被災職員は同所において清掃の際に剥がれ落ちた石綿を拾い集めていました。また、石綿を使用した大型ごみを破砕した破砕機内の清掃にも従事していました。
破砕機棟内の清掃は、1日当たりの従事時間は、7時間くらい。1カ月当たりの従事日数は、10日くらい。1年間当たりの従事日数は120日くらいでした。
支部審査会は、「標本中に1本でも石綿小体を検出すれば、 石綿高濃度ばく露が疑われる(田村意見書)。石綿ばく露によってのみ発生すると考えられている胸膜プラークが、左側にあるとの所見(田村医師意見書、鑑定書)といった医学的所見があることから、「被災職員が石綿に暴露していたことは疑う余地のないところである」と公務によるアスベストばく露を全面的に認めました。

9)公務上として認定

被災職員は、石綿認定基準に該当するびまん性胸膜肥厚に罹患しており、当該疾病を発症させるに足る環境の下で少なくとも19年という期間、公務に従事してきたことは認められる以上、当該疾病と公務との因果関係が推定されると公務上認定を行いました。

10)教訓と今後の取り組み

今回の公務災害認定の最大の原動力は、本人・家族の強い思いでした。それを支援したのが、北九州の「いの健」である北九州労健連のアスベスト対策委員会の弁護士や医師などの専門家と当該職場の労働組合の連携した力でした。
全国で初めてごみ焼却工場作業員の、アスベスト関連疾患の公務災害が認定されました。同様の作業環境で働いた公務員は相当の数に上ると思います。今後各地のごみ焼却作業者のアスベスト被害掘り起し活動を強化することが重要です。

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