システムエンジニア西垣和哉さんの過労死認定裁判勝利報告

『システムエンジニア西垣和哉さんの過労死認定を支援する会』世話人
松永 義弘

松永義弘世話人

(一)全国の仲間の協同の力

2011年3月25日、東京地裁(白石哲裁判長)は、労災不支給決定取り消し請求裁判で、原告勝利の判決。被告国側は控訴断念。判決が確定しました。
公正な判決を求めて訴えを起こした原告、母親西垣迪世さんを支援してきた、全国と地方の、労連・働くもののいのちと健康を守るセンター・過労死を考える家族の会・国民救援会等々幅広い団体、個人の皆様のお陰です。働く仲間の協同の力の勝利です。この喜びを皆様と共有したいと思います。

(二)過労自殺は過去最悪

2010年5月19日付『産経』は「09年の自殺者38,245人中20代は3,470人30代は4,794人で過去最悪。失業や苛酷な労働条件で追い込まれて」又、10年6月26日付『毎日』は「向精神薬の過量服薬救急が10年間で2倍に増加」と報道しました。

(三)過労自殺の労災認定のハードルは高い

09年度の過労死(脳・心臓疾患)労災請求件数は767件、認定割合は41%。過労自殺労災請求件数は1136件、認定割合は27.5%でした。
これについて、過労死弁護団の川人博幹事長(西垣裁判原告代理人)は「精神疾患の請求が1000人を超えたことはパワハラや長時間労働がまん延する職場状況の反映だが、厚労省は認定に高いハードルを設定している。職場の実態をきちんと把握して認定すべきは認定するという立場に立つべきだ」と高いハードルに疑問を示しています。

(四)SE西垣和哉さんの場合

02年4月 富士通SSL(神奈川県川崎市)に入社。03年4月TBSプロジェクトに配属。03年9月下旬までにうつ病を発症。休職と復職を繰り返し、うつ病が回復しないまま06年1月薬物過剰摂取で亡くなる(27歳)。06年4月川崎北労基署に労災申請(07年12月不支給決定)。08年9月中央労働保険審査会へ再審査請求(09年6月棄却)。09年2月東京地裁へ提訴。09年5月「支援する会」結成。09年10月東京地裁への要望署名開始(団体署名432筆、個人署名15
521筆)。10年10月証人尋問。10年12月結審。11年3月25日勝利判決。

(五)大きかった同僚の証言

SE西垣和哉さんが働いていた会社、富士通SSLにはメンタル不調者が多く、西垣和哉さんと同期入社組74人中13人、実に17.6%の人がメンタル不調を経験しています。こうした中で、西垣和哉さんの現・元同僚たちが、原告準備書面作成への協力、裁判傍聴支援、更に法廷で証人として証言してくれました。
10年10月6日の証人尋問はまさに西垣裁判の山場となりました。(以下は、母親西垣さんの友人で支援する会世話人のIさんの『証人尋問裁判傍聴記』の一部です。)


裁判開始前に控室で川人弁護士より我々傍聴者にポイントとなる何枚もの資料コピーが配られました。
すさまじい勤務実態が勤務月報などに記録されていました。いよいよ開始。若い須田弁護士の張りのある声は法廷内に響き、原告側圧倒的有利の空気を作っているようでした。西垣君の同僚だった友人は、西垣君の仕事や生活の具体的な姿を、そして日を追って疲労していく様子を語ってくれました。被告側弁護士の質問にも、自分のペースをくずさず七十分間、ふんばりました。
被告側証人は西垣君の元上司です。
川人弁護士は長時間労働の実態をより具体的に問い、さらに労働環境の実態について細かに質問をたたみかけていきます。
「翌朝五時二十分まで働いていた西垣君に 上司として『明日は休んでいい』となぜ言わないのか」「なぜ人を増やさないのか」…
元上司は「新しい人を入れると、仕事を覚えてもらうのに時間がかかる」「仕事がたてこんでいて、期日がせまっていた」「西垣君は入社二年目だが仕事がよくでき優秀なので、こちらのプロジェクトに入ってもらった」…「仕事場にソフアーは無い。机にうつ伏して仮眠しているのを見た」…等々、原告側の証人かと思われる内容を語らせていきました。やりとりの中で見えてきました。パイプ椅子に座り、機器の置かれた会議用机の前で終わりの見えない仕事に向かう、そして、時には二十一時間も超えて…。疲労感に満ち、病んでいく西垣君の後ろ姿が、まるでカラー映像のように浮かび上がってきました。そしてそのまわりに同じように働く同僚たちの姿がモノクロでうめつくされて見えてきました。
川人弁護士の克明な調査に基づいた事前資料の力を感じました。我々傍聴者も、尋常を超えた 翌朝八時までの仕事等の勤務日誌をみながら、川人弁護士と、時には同じ土俵に立ち、追及の質問に同じように怒り、呼応し合う空気の波を作り出していきました。傍聴席は満席であるべき意味もわかりました。
最後に西垣迪世さんは裁判長に向かって、息子を失い提訴した思いを、そして労働災害であることを認めていただきたい、としっかり訴えました。
攻めに攻めて押し込んだ三時間でした。

(六)裁判所の判断

10年11月30日付『最終準備書面(原告代理人弁護士川人博、須田洋平)(A4版83頁)』は、克明にうつ病発症及び死亡の業務起因性を明らかにしました。業務による心身の負荷とうつ病発症の因果関係については、判断指針の『心理的負荷評価法』に照らしても和哉さんのうつ病発症には業務起因性が認められると主張しています。
裁判の争点に対する裁判所の判断は明快です。
「和哉の本件疾病の発病及びこれに伴う薬物依存傾向による過量服薬による死亡は、和哉が、その業務の中で、同種の平均的労働者にとって、一般的に精神障害を発病させる危険性を有する心理的負荷を受けたことに起因して生じたものと認めるのが相当であり、和哉の業務と本件疾病発病及び死亡との間に相当因果関係の存在を肯定することができる」
「以上の次第で、和哉の精神障害の発病及び死亡が業務上の事由によるものとは認められないとして原告に対する遺族補償給付及び葬祭料を支給しないとした本件各処分は違法であり、取り消しを免れない。よって、主文のとおり判決する。」

(七)過労死を防止する策を

10年7月、大阪過労死を考える家族の会主催の過労死学習会で、大阪の会顧問の岩城穣弁護士は「過労死が特殊なのではなく、規制する法律の無い日本が特殊です、法律の実現へつながりを生かして行動していこう」と呼びかけました。
11年4月、大阪過労死を考える家族の会の定期総会で松丸弁護士は「多くの大企業が三六協定の特別協定で時間外労働を長時間行っている実態から過労死がおこるのは当たり前。過労死企業名を公表させるとりくみは重要だ」と発言。岩城弁護士は「過労死防止基本法を実現させ、過重労働を認めない規制が必要だ」と強調。

西垣裁判の全経過と判決文とが、過労死・過労自殺をなくす仕組みをつくることに大いに役立つことを祈念して、本稿を終了します。

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